「髪置きの儀」とは?
「髪置きの儀」という言葉を聞いたことはありますか?これは簡単に説明してしまえば、七五三の「三」のこと。
より詳しく説明するのであれば、三歳の子供たちが迎える七五三の起源となった儀式のことを指します。
なかなか知られていない七五三の「三」の歴史に触れながら、髪置きの儀についてをご紹介していきましょう。
時代は遡って平安時代…実はこの当時、男女関係無く三歳になるまでは坊主頭でいることが当たり前だったといいます。
そのため、赤ちゃんが生まれてから七日目には、男の子でも女の子でも産毛を剃るというのが普通でした。
それから三歳になるまでは、ずっと坊主頭のままだったのです。
現代の考え方では、「どうして女の子まで…」と思ってしまうことでしょう。
しかし、その当時は乳児の頃に髪を剃っておくことで、ゆくゆく健康な毛髪が生えてくる…と信じられていたのです。
そのため、男の子だけでなく、女の子の赤ちゃんも坊主頭になっていたわけですね。
そうして三歳まで坊主頭で過ごし、三歳の春になって初めて毛髪を伸ばしていくことができるようになります。
つまり、髪置きの義というのは、子供たちがはじめて毛髪を伸ばす儀式が由来になっていたのです。
この風習が髪置きの義と呼ばれて代々受け継がれ、今では三歳の七五三に形を変えて残されているというわけですね。
ちなみに当時の髪置きの義では、我が子が健やかに成長し、長生きしていくように…という願いが込められていたと言われています。
現代に残っている七五三も、我が子の健康な成長と長生きを願って行われる行事ですよね。
こうして見ると、髪置きの義が七五三の起源となっていることがよくわかると思います。
ちなみに、髪置きの儀を経てからは、最初の段階ではおかっぱ頭を主体にしていきます。
その後、女の子の場合は前髪が伸びてきた頃におすべらかしと呼ばれる髪型をするようになっていました。
ちなみにおすべらかしの髪型をするようになってからは、女の子は生涯髪の毛を切らないようになります。
例外として、夫に先立たれてしまった場合などは髪を切ることもあったそうです。